日比谷線事故から四半世紀、富久信介さんが遺した教訓と安全への闘い

日比谷線事故から四半世紀、富久信介さんが遺した教訓と安全への闘い

日比谷線事故から四半世紀、富久信介さんが遺した教訓と安全への闘いの全体像を詳しく解説してご紹介します。

事故直後、世間の耳目を集めたのは「なぜ平坦な線路で、速度超過もしていない電車が突然脱線したのか」という疑問でした。国土交通省の鉄道事故調査委員会(現・運輸安全委員会)による詳細な解析の結果、単一のミスではなく、複数の微細な物理現象が最悪のタイミングで重なり合った「せり上がり脱線(乗り上がり脱線)」であったことが判明します。

核心となったのが、当時最新鋭として普及が進んでいたボルスタレス台車の特性でした。従来の台車に備わっていた揺動緩和機構(ボルスタ)を省略して軽量化を図ったこの台車は、線路のねじれやレールの不均一に追従する際、特定の車輪にかかる荷重が一時的に極端に低下する「輪重抜け」を起こしやすい弱点を抱えていました。

さらに、事故現場は半径160メートルの急曲線かつ緩和曲線の出入り口付近であり、線路の摩耗や横圧、レール塗布油の不足による摩擦係数の上昇など、複数の微小な変動が複合的に作用。車輪のフランジ(つば)がレールを駆け上がる物理限界を一気に突破してしまったのです。

項目詳細・数値データ一般的な基準・事故前の認識編集部の見解・評価現場曲線半径R=160m(中目黒駅構内緩和曲線部)本線限界近くの急カーブ構造的に横圧が極大化しやすい危険地帯だった。護輪軌条
(脱線防止ガード)事故現場には未設置「半径200m以下の本線急曲線」に通達されていたが構内扱いとして除外保安通達の文言解釈の隙間に潜んだ組織的怠慢の象徴。輪重静止アンバランス率事故車両で約29.7%の偏り当時は厳密な管理上限値の規定なし(後に10%以内へ)台車の重量バランス軽視が「浮き上がり」を致命的に加速させた。脱線係数と走行速度時速約13〜15km/h(低速走行)「低速であれば安全」という業界の盲信低速・ブレーキ動作・台車のねじれが重なる静的脱線の脅威が露呈。

もっとも重大な論点は、被害の拡大を確実に防ぐことができたはずの護輪軌条(脱線防止ガード)の未設置でした。運輸省(現・国交省)は過去の事故事例を受け、半径200メートル以下の急カーブには脱線防止ガードの敷設を指導していましたが、中目黒駅構内は「側線・構内扱い」の解釈によって設置基準から除外されていたのです。もしも内側に1本の鉄軌条が存在していれば、仮に車輪が浮き上がっても対向列車への激突は防げていました。行政と事業者の安全に対する形式主義が、最悪の惨事を招いたと言わざるを得ません。

田中 結衣
著者

田中 結衣

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。