1975年5月、ジョー・ルーツ監督の突然の退任劇により、打撃コーチから急遽監督へ昇格した古葉竹識氏。当時39歳という若さで指揮官となった古葉氏が最初に求めたのは、チーム全体に染み付いていた敗北感の払拭と、「勝つための必然」を徹底的に積み上げることでした。
山本浩二氏や衣笠祥雄氏といった主軸打者に頼るだけでなく、大下剛史氏をリードオフマンに据えて機動力を前面に押し出すスタイルを確立。1975年の初優勝時には、チーム盗塁数や進塁打の意識が飛躍的に向上し、セ・リーグに空前の「赤ヘル旋風」を巻き起こしました。東京・後楽園球場での巨人戦を制し、ファンが見守る中で行われた広島カープ初優勝の胴上げは、地方球団が巨大戦力に立ち向かい頂点を極めた象徴的瞬間として語り継がれています。
古葉采配の真骨頂は、一度の優勝で終わらせず、持続可能な常勝軍団を作り上げた点にあります。1979年の日本シリーズ第7戦における「江夏の21球」では、無死満塁という絶体絶命のピンチにおいてスクイズを外す冷静なサインプレーを指示。1979年、1980年、1984年と計3度の日本一を成し遂げた背景には、投打の軸を固定しつつも状況に応じた緻密な戦術を展開する卓越した状況判断力がありました。