学習院初等科から中等科、高等科へと進まれた浩宮さまは、学業とスポーツの双方で誠実かつ実直な生活を送られました。学習院大学文学部史学科に進学された後は、中世の日本の交通・物流の根幹を担った「水運史(交通史)」をご専攻。皇太子という特別な立場にありながら、古文書を泥臭く読み解き、フィールドワークに足を運ばれる学究肌の一面を見せられました。
1983年から1985年にかけての英国オックスフォード大学マートン・カレッジへのご留学は、陛下の人生における最大の転換点となりました。自著『テムズとともに――英国の二年間』の生き生きとした手記には、次のような人間味あふれる告白が記されています。
「自分一人でコインランドリーに行き、洗剤の量を間違えて泡だらけにしてしまった事件」「現地のパブで学友たちと肩を並べ、ビールを酌み交わした夜」「警衛の目を離れて自由にオックスフォードの街を闊歩した高揚感」。一人の青年研究者として経験されたこの2年間が、陛下に広い国際視野と、自立した人間としての揺るぎない自信をもたらしました。
そして日本中が固唾をのんで見守ったのが、後の皇后陛下となる小和田雅子さんとの出会いでした。1986年(昭和61年)10月、東宮御所で開かれたスペイン・エレナ王女の歓迎茶会。外交官試験に合格し、将来を嘱望されていた雅子さまと言葉を交わされた浩宮さまは、その知性と朗らかな人柄に強く惹かれたと伝えられています。
過熱するメディアの報道攻勢や、キャリア官僚としての将来に揺れる雅子さまに対し、浩宮さまは7年もの歳月をかけて誠意を尽くし続けられました。1992年、千葉県の新浜鴨場でのプロポーズで語られた「雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから」という言葉は、昭和から平成の皇室史に燦然と輝く名言として、今なお多くの人々の胸を打っています。