この歌が生まれた1930年(昭和5年)当時の日本は、未曾有の国難に直面していました。前年に発生した世界恐慌(1929年)の余波が日本列島を直撃し、昭和恐慌と呼ばれる大不況に突入。特に東北地方をはじめとする農村部は深刻な冷害と飢饉に襲われ、貧困のあまり娘の身売りや欠食児童が続出するという悲惨を極めた状況にありました。
一方で、東京の政界や三井・三菱などの巨大財閥は癒着を深め、腐敗スキャンダルを連発。軍縮条約をめぐる政治的対立(統帥権干犯問題)も重なり、第一線で農村出身の兵卒たちを預かる青年将校たちの間には、既存の政治システムに対する激しい不信と絶望が充満していました。
作詞者である三上卓(みかみ たく)は、1905年(明治38年)佐賀県生まれの海軍軍人(海軍中尉)です。海軍兵学校を卒業後、熱烈な国家革新思想に傾倒し、思想家・大川周明や北一輝の著作に強い影響を受けました。三上は、貧窮にあえぐ庶民を救い、腐敗した支配層を武力で排除して天皇親政による国家改造を実現する「昭和維新」を本気で志していたのです。
三上は1932年(昭和7年)5月15日、仲間とともに首相官邸を急襲し、内閣総理大臣の犬養毅を暗殺する五・一五事件を決行。軍法会議の法廷において三上らは自らの動機を切々と訴え、全国から数十万通に及ぶ減刑嘆願書が届くなど、当時の社会に巨大な衝撃を与えました。禁錮15年の判決を受けた三上は、恩赦により1938年に仮釈放された後も右翼・民族派の重鎮として戦後まで活動を続けました。