二人の結婚生活において、最も過酷で繊細な試練となったのが「子供」に関する問題でした。結婚当初は極貧生活を脱することに必死だった二人ですが、爆笑問題がブレイクを果たし、経済的な基盤が整った30代後半から本格的な妊活へと踏み切ることになります。
太田光代は当時の手記やドキュメンタリー番組のインタビューにおいて、長期にわたる過酷な不妊治療の苦悩を率直に告白しています。連日の排卵誘発剤の投与、体外受精の試み、激しいホルモンバランスの乱れによる精神的疲弊と体調不良。度重なる期待と失望のサイクルは、屈強な精神を持つ彼女をも限界まで追い詰めました。
その壮絶な日々に終止符を打ったのは、夫である太田光の決断でした。ベッドの上で副作用に苦しみ、涙を流す光代の姿を目の当たりにした太田光は、「もう十分頑張った。子供がいなくても、僕には光代がいればそれでいい。光代の体が壊れてしまうことの方が怖い」と強く説得し、不妊治療の断念を申し出たのです。
子供を持たない人生を受け入れる過程には計り知れない葛藤が存在したものの、この壮絶な体験を経たことで、二人の関係は「親になれなかった夫婦」ではなく、「生涯を二人きりで支え合う究極の戦友」へと昇華していきました。