女優としての地位を固めつつあった彼女の人生は、歌舞伎役者である八代目中村芝翫(当時・中村橋之助)との結婚によって大きな節目を迎える。華やかな大衆芸能の世界から、一転して数百年続く伝統文化の深遠な世界へ。周囲からは驚きと懸念の声も上がったが、彼女の決意は揺るがなかった。
歴史ある名門「成駒屋」の女将としての生活は、それまでの常識が通用しない苦労の連続だった。言葉遣い、着物の立ち振る舞い、贔屓筋への挨拶、季節ごとの膨大な行事の手配。歌舞伎界という独特の格式としきたりが色濃く残る社会において、いわゆる「梨園の妻」としてのプレッシャーは想像を絶するものだ。しかし、彼女は弱音を吐くことなく、持ち前の朗らかさと真摯な姿勢で一歩一歩信頼を築き上げていった。