日本を代表する料理でありながら、天ぷらのルーツは16世紀半ばの南蛮貿易時代にさかのぼります。当時、布教のために長崎などへ来航したポルトガル人宣教師や商人によって持ち込まれた西洋式の揚げ物が原型とされています。しかし、なぜこの南蛮渡来の揚げ物に「天婦羅」という雅やかな漢字が結びついたのでしょうか。
有力な語源説として定着しているのが、カトリックの典礼用語であるラテン語「Quattuor Tempora(四季の斎日)」およびポルトガル語の「temporas」です。キリスト教の四旬節などの節食期間中、信徒たちは獣肉の摂取を禁じられていました。その際、魚や野菜に小麦粉の衣をつけて揚げて食べた習慣が日本へ伝わり、「テンポラス」が転じて「テンプラ」と呼ばれるようになったという経緯です。また、ポルトガル語で「調味料」や「油で揚げる調理」を意味する「tempero(テンペーロ)」に由来するという説も根強く支持されています。
文献上の記録として早い例では、寛文9年(1669年)に刊行された料理書『食道記』にその名が登場します。さらに江戸幕府を開いた徳川家康が、豪商・茶屋四郎次郎から「上方で流行している美味な揚げ物」として聞き及び、鯛の天ぷらを食したという逸話は広く知られています(※史実としての死因は胃癌とされていますが、当時すでに天ぷらが特権階級の間で先駆的な料理として認識されていた証左といえます)。
では、「天婦羅」という漢字表記はいつ、誰の手によって誕生したのでしょうか。有力な証言として残るのが、江戸時代後期の人気戯作者・山東京伝(さんとうきょうでん)による命名説です。天明年間(1780年代)、京伝の知人であった職人が天ぷらの屋台を開くにあたり、看板となる文字の考案を依頼しました。そこで京伝は、以下のような意味を込めて三文字を組み合わせたと伝えられています。
「天」は天竺(海外)から渡ってきた揚げ物油、あるいは天に向かって揚がる煙。「婦」は衣を纏わせる手際の良さを象徴する女性。「羅」は薄い絹織物(紗羅)のように軽やかで薄い衣。異国の調理法に江戸っ子好みの粋な言葉遊びと美意識を重ね合わせ、この文字を当てたのが大ヒットのきっかけとなりました。庶民の屋台料理として普及するなかで、この洒落の効いた「天婦羅」の文字が定着していったのです。