長崎市長射殺事件の経緯を時系列で辿ると、民主主義の隙を突いた冷酷な計画性が浮き彫りになります。2007年4月17日午後7時50分頃、4期目を目指して立候補していた伊藤一長市長は、市内各地での精力的な街頭演説を終え、長崎駅前にある選挙事務所へと車で戻ってきました。事務所前には支持者やスタッフが集まり、連日の熱気を帯びた選挙戦が繰り広げられていました。
伊藤市長が車を降り、支援者らに笑顔で頭を下げながら事務所へと歩き出したわずか数秒後、背後から音もなく忍び寄った男が懐から小型回転式拳銃(38口径リボルバー)を取り出します。至近距離の1メートル以内から立て続けに2発の銃弾が発射されました。銃声が鳴り響いた瞬間、伊藤市長はその場に崩れ落ち、周囲は一瞬にして悲鳴と怒号に包まれるパニック状態へと陥ったのです。
犯行に及んだのは、指定暴力団山口組系暴力団「水心会」の元幹部(会長代行)である城尾哲彌(当時59歳)でした。城尾は発砲直後、現場に居合わせた私服警察官や選挙スタッフらに取り押さえられ、殺人未遂の現行犯で逮捕されました。一方、背中から胸を撃ち抜かれた伊藤市長は長崎大学医学部歯学部附属病院へ緊急搬送され、深夜にわたる懸命の心肺蘇生や緊急開胸手術が行われたものの、翌4月18日午前2時28分、大量出血による出血性ショックのため61歳で息を引き取りました。この長崎駅前銃撃は、日本社会に底知れぬ恐怖と深い傷跡を残しました。