愛媛県は文学や軍事のみならず、スポーツ教育の分野でも国際的な偉人を輩出しています。その代表格が、松山市出身の野球指導者・近藤兵太郎です。
松山商業高校(旧制松山商業)の選手・監督として同校野球部の黄金期を築いた近藤は、1928年に請われて日本統治下の台湾へと渡り、嘉義農林学校(現・国立嘉義大学)の野球部監督に就任しました。
当時の常識を覆し、近藤は日本人、台湾原住民(高砂族)、漢民族(本島人)の混成チームを編成しました。民族による偏見を一切排除し、「球は霊なり(ボールに魂を込めよ)」という厳しい精神的鍛錬と、足技を駆使した機動力野球を叩き込みます。その結果、無名だった嘉義農林は1931年夏、台湾代表として初出場した甲子園大会で快進撃を続け、見事に準優勝を果たしました。
この感動的な実話は、2014年の台湾映画『KANO 1931海の向こうの甲子園』として映画化され、日本・台湾双方で社会現象となりました。近藤兵太郎の国境を越えた指導理念と育成力は、今もなお台湾球界から「台湾野球の父」として深く敬愛されています。