多くの県民が享受しているこの記念日ですが、そもそもなぜ「6月15日」が指定されたのか、その歴史的背景を正しく把握している人は多くありません。
千葉県民の日のルーツは、明治維新直後の激動期にさかのぼります。明治4年(1871年)の廃藩置県を経て、房総半島にはかつて複数の県が乱立していました。その後、下総国を中心とする「印旛県(いんばけん)」と、上総・安房国を中心とする「木更津県」という2つの大きな県に統合されます。そして明治6(1873)年6月15日、印旛県と木更津県が合併し、現在の「千葉県」が正式に誕生しました。県庁は当時の両県の境界に近く、交通の要衝であった千葉町(現在の千葉市中央区本千葉町周辺)に設置されたのです。
その後、昭和58(1983)年に千葉県の総人口が500万人を突破したことを記念し、翌昭和59(1984)年に県条例として正式に「県民の日」が制定されました。条文には、「県民が、郷土を知り、ふるさとを愛する心をはぐくみ、共に次代に誇りうる、より豊かな千葉県を築くことを期する日」と明記されています。
つまり、単なるレジャーの特売日や学校の休暇ではなく、旧下総と旧上総・安房という異なる歴史・文化風土を持つ地域が一つに結ばれ、近代千葉としての歩みを始めた「県の誕生日」としての重みを持っています。県立中央博物館や県立公文書館などが県民の日に所蔵資料の無料公開に踏み切る背景には、こうした郷土創生への原点回帰という教育的理念が脈々と息づいています。