1996年8月4日、ついに力尽きた渥美清さん。その最期の迎え方にも、彼らしい美学が貫かれていました。遺族(妻・正子さんと子供たち)は、生前の渥美さんの強い遺志に従い、訃報をすぐには公表しませんでした。
密葬は家族・親族のみのわずか数名で密かに執り行われ、遺体が荼毘に付された後の8月6日夜になって初めて、松竹から公式に逝去が発表されました。長年妹のさくら役を務めた倍賞千恵子さんをはじめとする共演陣も、ニュースの第一報で初めてその死を知るという異例の事態でした。世間や関係者に死に顔を見せず、骨になってから世を去ったことを知らせる——これこそが、最後まで「寅さん」という夢を壊さないための、渥美清流の幕引きでした。
その後、1996年8月13日に神奈川県鎌倉市の松竹大船撮影所で執り行われた「寅さんとのお別れの会」には、ファンや芸能関係者ら数千人が参列。山田洋次監督は涙声で、祭壇の遺影に向かって次のような言葉を投げかけました。
「お前、本当に死んだのか……。僕はまだ信じられない。どこかの町をふらふらと歩いているんじゃないかと思うんだ」
この弔辞は、会場にいたすべての関係者と日本中のファンの気持ちを代弁するものでした。その後、渥美清さんには国民栄誉賞が授与されることとなり、昭和の庶民を励まし続けたその功績は国家の記憶としても刻まれることになりました。