赤い家レッドハウスの真相|モリスが築いた理想郷と見学の全貌

赤い家レッドハウスの真相|モリスが築いた理想郷と見学の全貌

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芸術的にも思想的にも完璧なユートピアに見えたthe red houseですが、モリスがこの家で暮らしたのは1860年から1865年までのわずか5年間に過ぎません。1865年秋、モリスは家族とともにこの地を去り、売却後は生涯にわたって二度とこの家の敷居を跨ぐことはありませんでした。愛好家の間でも長年議論の的となってきた「赤い家 モリスの真相」には、ロマンチックな神話の陰に隠された過酷な現実と複雑な人間心理が絡み合っています。

当時の書簡や関係者の手記を綿密に検証すると、退去に至った理由は主に3つの構造的要因に集約されます。

  • 商会事業の拡大と過酷な通勤負荷:1861年に設立された「モリス・マーシャル・フォークナー商会(後のモリス商会)」はロンドン中心部のレッド・ライオン・スクエアに拠点を置いていました。当時、ベクスリーヒースから最寄り駅までは馬車を使い、そこから蒸気機関車に乗り継ぐ必要があり、往復で3時間以上を要しました。商会の急成長に伴い、この物理的な移動距離が致命的な経営負荷となっていきました。
  • 健康問題とリウマチ熱の発症:1864年の厳しい冬、モリスは重度のリウマチ熱に倒れ、数週間にわたり病床に伏しました。湿地に近いベクスリーヒースの冬の寒気はモリスの身体を容赦なく蝕み、長距離の通勤を継続することはドクターストップに近い状態でした。
  • 共同体構想の破綻と複雑な心理的葛藤:モリスは当初、バーン=ジョーンズ一家を呼び寄せて邸宅を拡張し、完全な芸術共同体を営む計画を立てていました。しかし、バーン=ジョーンズ家の事情により計画は白紙化。さらに、モリスの妻ジェーンと親友ロセッティとの親密な関係(後の公然たる恋愛関係)の萌芽がこの空間で生まれつつあり、モリスにとって理想郷であったはずの場所が、精神的な緊張を強いる場へと変質していったのです。

モリスは親しい友人への手紙の中で、家を手放す決断を下した際の心情を「まるで自分の墓に入るような痛みを伴う作業だった」と吐露しています。美と理想を極限まで追求した空間であったからこそ、現実の脆さと人間関係の歪みに耐えきれなくなったという悲劇的な側面が、この建築の物語に深い陰影と人間味を与えています。

中村 さくら
著者

中村 さくら

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。