なぜ、一時代を築いた関西軽井沢ゴルフ倶楽部は営業を断念せざるを得なかったのでしょうか。その深層には、華やかなバブル経済の遺産と、平成から令和にかけて急速に進んだレジャー市場の地殻変動が存在します。
倶楽部の歴史を振り返ると、昭和後期から平成初頭のリゾートブーム期に「阪神地区から気軽に行ける高原コース」として開発されました。猪名川町の標高の高い丘陵地帯に位置したことから、「信州・軽井沢に匹敵する冷涼な環境」をアピールポイントに掲げ、夏の暑さを嫌う都市部ゴルファーの間で爆発的な人気を獲得しました。
しかし、バブル崩壊後のデフレ経済と長引く不況が状況を一変させます。アコーディアやPGMといった大手再生ファンドの台頭による「セルフプレー化・低価格競争」が激化するなか、同倶楽部は顧客維持のためにプレー代金を引き下げざるを得なくなりました。客単価の下落は、山岳コース特有の莫大なランニングコストを直撃します。急峻な地形を削って作られたコース構造上、カート路の補修や法面(のりめん)の防護工事、大雨による流出土砂の撤去費用は平野部コースの数倍に膨らんでいました。
追い打ちをかけたのが「預託金返還問題」です。開場時に集めた数千万円から数百万円規模の預託金が満期を迎え、償還を求める会員が殺到。自転車操業に陥った運営会社は資金繰りを完全にショートさせ、私的整理や破産など法的手続きを経てコースクローズへと追い込まれる結果となりました。