これほど完成度が高く文学的な弔辞であったため、発表直後からネット上やメディア関係者の間では「誰が作成したのか」「プロのスピーチライターが書いたのではないか」という憶測が飛び交いました。特に、安倍政権下で名演説を数多く手掛けた内閣官房参与(当時)・谷口智彦氏の関与を疑う声も一部で見られました。
しかし、当時の関係者証言や報道各社の綿密な後追い取材によって、その作成経緯の全貌が明らかになっています。
結論から言えば、骨子や中心となるエピソード、山県有朋の短歌の選定は菅義偉氏本人の強い意志によるものでした。菅氏は国葬の数日前、議員会館の自室で親しい側近や秘書官とともに原稿の推敲を重ねました。その際、菅氏自身の口から「銀座の焼鳥屋で口説いた時の話をどうしても入れたい」「岡崎先生の本にあったあの歌を使いたい」と具体的な提案がなされたと記録されています。
文章の調律や言い回しの微調整にスタッフの助言はあったものの、語られた感情やモチーフの根底にあったのは、菅氏自身が安倍氏と過ごした生々しい実体験そのものでした。ゴーストライターによる美辞麗句では決して生み出せない、生身の感情の熱量が宿っていた理由がここにあります。