昭和19(1944)年、日本海軍設営隊によって掘削された旧海軍司令部壕。米軍の艦砲射撃に耐えうる強固な地下拠点として、ツルハシやクワを用いた手作業で構築されました。張り巡らされた坑道は総延長約450メートルに及び、当時は約4,000名の兵士が過密な地下空間に収容されていました。
この壕を語る上で欠かせないのが、海軍沖縄根拠地隊司令官であった大田實海軍中将(戦死後海軍中将に特進)の存在です。昭和20(1945)年6月6日、大田司令官は海軍次官宛てに極めて異例となる長文の訣別電文を打電しました。
その電文の末尾は「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と結ばれています。自らの部隊の功績ではなく、過酷を極める戦火の中で軍を支え、自らを犠牲にして戦い抜いた沖縄県民の献身と苦難を後世に伝えてほしいと訴えかけたこの言葉は、今も訪れる人々の胸を強く打ちます。司令官室で自決を遂げた大田少将らの最期とともに、戦争の悲惨さと命の尊さを訴え続けています。