初めて那智山を訪れる参拝者が最も戸惑うのが、「青岸渡寺」と「熊野那智大社」の境界線の曖昧さです。物理的にも渡り廊下で繋がっているかのように隣接しており、どこからが神社でどこからが寺院なのか一見して判別がつきません。この配置には、日本の宗教史における重大な背景が刻まれています。
かつて那智山は、那智の滝に対する自然崇拝(原始神道)と、インドから漂着したと伝わる裸形上人が開山した仏教寺院が融合した「那智山飛瀧権現堂」として一体運営されていました。明治初期の神仏分離令(廃仏毀釈)によって全国の寺社が強制的に分断されるなか、那智山でも多くの仏堂が破却の危機に瀕しました。
しかし、信仰を守ろうとする信徒や僧侶の尽力により、1874(明治7)年に本堂が天台宗の寺院「青岸渡寺」として独立・復興を果たしました。現在残る豊臣秀吉が再建した本堂(国指定重要文化財)は、桃山時代の豪壮な木造建築様式を今に伝え、神社と寺院が互いを尊重し合いながら共存する「生きた神仏習合の姿」を今なお体現しています。