竹下登氏の3人の娘たちは、それぞれ昭和の日本を動かした政界の重鎮、ジャーナリズム、日本を代表する巨大財閥・名門企業の一族へと嫁ぎました。いわゆる「閨閥(けいばつ)」と呼ばれる血縁関係の中でも、竹下家の結びつきは桁外れのスケールを誇ります。
特に政治史において決定的な意味を持ったのが、長女・一子氏と金丸康信氏の婚姻です。康信氏の父は、自民党幹事長や副総裁を歴任し、竹下派の共同オーナーとして君臨した政界のドン・金丸信氏。盟友同士であった竹下登氏と金丸信氏は、子供同士を結婚させることで文字通り「親戚関係」を結び、昭和末期の政局を完全に牛耳る「金竹小(金丸・竹下・小沢)体制」の鉄の結束を生み出しました。
一方で、次女のまる子氏が嫁いだ内藤武宣氏は、早稲田大学雄弁会を経て毎日新聞社で政治部記者を務め、後に竹下氏の私設秘書を務めた人物です。この内藤家から、平成・令和のエンターテインメント界を牽引する孫たちが誕生することになります。