母の死後、世間が最も案じたのは4歳で遺された長男の育児でした。地方公演で年の半分近くを劇場で過ごすトップスターの松平健にとって、シングルファザーとしての育児両立は過酷を極める挑戦でした。
しかし松平健は、周囲の「住み込みの家政婦に任せるべきだ」という進言を一部に留め、父親としての日常的関わりを自らの手で担うことを誓いました。その象徴が、長男が初等学校に入学してから高校を卒業するまで12年間にわたり続いた「手作り弁当」です。
舞台の幕が下りて深夜に帰宅しても、翌朝は5時半に起床。卵焼きや唐揚げ、彩り豊かな野菜のおかずを自ら調理し、長男の健康と食育を支えました。地方公演の際も作り置きの冷凍おかずを几帳面にストックし、学校行事や運動会には可能な限りスケジュールを調整して参加する姿勢を崩しませんでした。