そもそも、なぜ荒木村重は織田信長に反旗を翻したのか。そして、なぜ妻子を伊丹の有岡城に残して逃亡したのか。この問いは、今なお歴史愛好家の議論の的である。説得のために乗り込んできた黒田官兵衛(当時は小寺孝高)を捕らえ、過酷な土牢に1年以上も幽閉した村重の頑なな態度は、信長の怒りを頂点に達させた。
城内が兵糧攻めで飢餓状態に陥るなか、村重はわずかな側近とともに夜陰に乗じて脱出する。かつては「卑怯な自己保身」と一蹴されていたこの行動も、毛利軍や尼崎城との連携を図る軍事的な打開策だったという説が有力視されつつある。しかし、結果として残された妻子にとっては、過酷すぎる運命の引き金となったことは動かしがたい事実である。