過酷を極めた行を終え、行者がたどり着く「満行」とは、一体何を意味するのだろうか。それは単に壮大な挑戦を成し遂げたという達成感や、周囲からの称賛を得るためのゴールではない。想像を絶する苦行を通して自尊心やエゴを完璧に摩耗させ、生きとし生けるものすべてに対する無条件の慈悲を宿すプロセスそのものなのだ。
「満行を迎えたからといって、手品のような超能力が得られるわけではない。朝の光の温かさ、一杯の水のありがたさに心から感謝できる自分に帰ってきただけだ」。行者が語るこの簡素な言葉にこそ、回峰行の真真がある。極限の極致をくぐり抜けたからこそ見えてくる当たり前の日常の尊さこそ、現代人が忘れてしまった最大の宝物と言えるだろう。