タチバナ家のお母さんを語るうえで、多くの人が最初に突き当たる謎が「本名が一度も呼ばれない」という点です。作中では夫から「おい」「お前」、娘のみかんや息子のユズヒコからは「お母さん」、友人たちからは「タチバナさん」「奥さん」と呼ばれるのみで、公的な書類が登場するシーンでも下の名前は巧みに隠され続けています。
公式ガイドブックや作者の過去のインタビューにおける言及を総合すると、この設定は偶然ではなく意図的な演出です。原作者のけらえいこ氏は、特定の個人としてのリアリティよりも、読者が「うちのお母さんと同じだ」と我が身を重ね合わせられる「家庭の母という記号的な存在」として描くことを重視しました。同様に「お父さん」の下の名前も劇中では明かされておらず、タチバナ家という器を通じて日本のどこにでもある日常の滑稽さを浮き彫りにする仕掛けとなっています。
プロフィールにおけるもう一つの衝撃は「設定年齢が43歳前後」という事実です。長女のみかんが高校2年生(17歳)、長男のユズヒコが中学2年生(14歳)という家族構成から逆算された極めてリアルな年齢ですが、あの貫禄あふれる体型や所作から「50代後半だと思い込んでいた」と驚く読者も少なくありません。現代の43歳といえばキャリアと子育てのバランスを取りながら洗練されたライフスタイルを送る層も多く、時代の移り変わりによる「40代母親像」の激変を如実に物語っています。
また、身体的特徴と出身地にも明確なバックボーンが存在します。公称される身長はおよそ160cm前後と成人女性の平均値に近いものの、作中では横幅が極端にデフォルメされ、周囲の大人たちを圧倒する質量感で描かれます。そして彼女の豪放磊落な気質を決定づけているのが九州出身という出自です。作中でも折に触れて九州弁のイントネーションが顔を出し、同じく九州出身であるお父さんとの阿吽の呼吸や、独自の頑固さ、郷土料理への愛着など、生活文化の根底に力強い地方の土着性が息づいています。