足利事件の発生から現在に至るまで、最大の疑問としてくすぶり続けているのが「なぜ真犯人が今も逮捕されていないのか」という一点です。足利事件の捜査の経緯と真相を丹念に辿ると、日本の刑事司法が抱える致命的な病理が浮き彫りになります。
1990年5月12日、足利市内のパチンコ店から当時4歳の松田麻美ちゃんが行方不明となり、翌日渡良瀬川の河川敷で遺体となって発見されました。当時の栃木県警は犯人逮捕に向けた焦燥感から、近隣に住んでいた菅家利和さんを重要参考人として浮上させます。その決定打とされたのが、黎明期にあったDNA型鑑定(MCT118型)でした。科学警察研究所(科警研)が「被害者の下着に付着していた体液と菅家さんのDNA型が一致した」と鑑定結果を出したことで、捜査本部は菅家さんへの追及を一気に強めたのです。
連日連夜の過酷な取り調べの末、菅家さんは虚偽の自白に追い込まれました。公判で無実を訴え続けたものの、1993年の一審宇都宮地裁、1996年の二審東京高裁、そして2000年の最高裁に至るまで、司法は「科学の証明」とされた初期のDNA鑑定を過信し、無期懲役の判決を確定させました。
しかし、この根幹にあった鑑定手法には重大な欠陥が存在していました。当時のMCT118型鑑定は精度が極めて低く、数千人に1人程度の識別能力しかなかったうえ、目視によるバンド判定という主観的な手法が混入していたのです。弁護側の粘り強い闘いと、後述するジャーナリストらの告発によって2009年に行われた最新鋭のDNA型再鑑定において、遺留物のDNAと菅家さんのDNAは「明確に別人である」という結果が示されました。これを受けて菅家さんは釈放され、2010年3月に再審無罪を勝ち取ったのです。
無罪判決によって、真犯人のDNAは被害者の下着に残されていた「未知の男性」のものであることが法的に確定しました。しかし、菅家さんが獄中に奪われていた17年半という歳月の間に、事件の刑事責任を追及する期限である「公訴時効」の時計は冷徹に針を進めていたのです。