姉川の戦いの真相|信長を救った逆転劇の決定的要因とは?

姉川の戦いの真相|信長を救った逆転劇の決定的要因とは?

姉川の戦いの真相|信長を救った逆転劇の決定的要因とは?の背景について、分かりやすい解説を詳しくお届けします。

開戦直後、浅井軍の先鋒を務めた磯野員昌らの突進力は凄まじく、織田軍の前衛部隊は次々と押し戻されました。信長の本陣近くまで戦線が後退し、信長自身が討ち死にの覚悟を迫られたとされる局面は、決して後世の誇張ばかりではありません。にもかかわらず、なぜ最終的に連合軍が勝利を掴み取ることができたのか。その理由は明確に3点存在します。

第一の勝因は、西翼における徳川軍の圧倒的な奮闘と規律の高さです。徳川家康は倍以上の兵力を擁する朝倉景健軍と対峙しながら、先鋒の酒井忠次、小笠原長高らの部隊が猛攻を受け止めました。その中で戦局を切り拓いたのが、本多忠勝の単騎駆けに象徴される規格外の突撃力と、榊原康政による朝倉軍右側面への決死の横槍でした。この連携により朝倉軍は統制を失って敗走を始めました。

第二の勝因は、勝敗が決した瞬間の迅速な戦力転換です。朝倉軍を戦場から駆逐した徳川軍は、追撃に深入りすることなく、即座に向きを変えて信長を押し込んでいた浅井軍の側面・背後へと雪崩れ込みました。前方の織田軍を攻め立てていた浅井軍は、想定外の方向から挟撃を受ける形となり、包囲殲滅の恐怖から一気に隊列が瓦解したのです。

第三の勝因は、織田軍後方詰め衆の粘りと組織的な兵力補充でした。織田軍は前衛が崩されても本陣周辺で粘り強く防衛線を維持し、別働隊として動いていた稲葉一鉄、氏家卜全、安藤守就ら「美濃三人衆」が浅井軍の横腹を突く援護に入りました。点での突破を図った浅井に対し、面で受け止めて有機的に挟撃を仕掛けた連合軍の用兵が、土壇場での勝敗を分けたのです。

木村 陽翔
著者

木村 陽翔

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。