法隆寺の鐘は実は東大寺?正岡子規「柿食えば」の真相と漱石の影

法隆寺の鐘は実は東大寺?正岡子規「柿食えば」の真相と漱石の影

法隆寺の鐘は実は東大寺?正岡子規「柿食えば」の真相と漱石の影についての真相をお届けします。

この名句における作者は、近代俳句の祖として知られる正岡子規です。「法隆寺の鐘 実は東大寺 真相」というセンセーショナルな言説は、決してネット上の都市伝説ではなく、子規自身が残した文章そのものが発端となっています。

子規が晩年の明治34年(1901年)に発表した随筆『くだもの』には、奈良旅行の場面について次のような回想が記されています。

「余が法隆寺に詣でんとて奈良を発し、ある宿屋へ腰を掛けて柿を食って居ると、御堂の鐘がボーンと鳴った。柿は名高い御所柿で……」

一読すると法隆寺の茶屋での出来事のように思えますが、明治28年10月の旅程記録や門弟宛ての通信を精査すると、物理的な矛盾が生じます。子規が奈良で宿泊していたのは、東大寺南大門のすぐ前にあった旅館「対華楼(たいかろう)」でした。宿泊初日(10月24日)、長旅と持病の結核で疲弊した子規は、宿の女中が剥いてくれた御所柿を美味そうに食べ、その折に東大寺の夕鐘を耳にしています。

実際に子規は法隆寺を訪れた10月26日以前に、東大寺の鐘を意識した習作を書き残していました。当時の現場距離を測定すると、東大寺と法隆寺は約15キロメートルも離れており、法隆寺にいながら東大寺の鐘を聞くことは不可能です。つまり、「宿で柿を食べて東大寺の鐘を聴いた実体験」と「翌々日に訪れた法隆寺の悠久の情景」を脳内でモンタージュし、文学的効果を極限まで高めるために寺の名を入れ替えたというのが、現在の近代文学研究において最も説得力を持つ結論です。

山田 真由
著者

山田 真由

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