通州事件をわかりやすく理解するためには、当時の特殊な政治状況を把握する必要があります。事件の舞台となった河北省通県(現在の北京市通州区)は、当時、日本軍の後ろ盾によって成立していた「冀東防共自治政府」(トップは殷汝耕)の本拠地でした。この政権は、蒋介石率いる南京国民政府から華北地域を切り離し、日本の緩衝地帯とするために樹立された、いわゆる傀儡政権です。
事件が発生したのは1937年7月29日未明。同月7日に発生した盧溝橋事件を契機に、華北一帯では日本軍と国民党系軍隊(第29軍など)の軍事的衝突が激化していました。通州を守備していた日本軍主力が北京・天津方面の作戦に出払って手薄になった隙を突き、自治政府の軍事組織である「冀東保安隊」の部隊(約4,000名〜7,000名規模)が一斉に反乱を起こしたのです。
保安隊はまず通州特務機関(細木中佐以下守備隊)を急襲し、次いで城内に住んでいた無防備な日本人および朝鮮人の一般居留民、商人、女性、子どもたちが滞在する旅館や住居に乱入しました。不意を突かれた民間人居留民は逃げ場を失い、通州の街は数時間にわたって無秩序な略奪と暴力にさらされることになりました。