1962年、東宝創立30周年記念映画『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』で大石内蔵助の妻・りくを演じたのを最後に、原節子は表舞台から姿を消しました。当時42歳。女優として円熟味を増し、さらなる名演が期待されていた矢先の電撃的な幕引きでした。
世間では引退理由をめぐり、容姿の衰えを隠すためとする説や病気説など、様々な憶測が飛び交いました。しかし、彼女自身はかつて記者会見やインタビューにおいて、極めて率直な言葉を残しています。
「私は本来、映画が好きで女優になったわけではありません。家計を支えるためにこの仕事を続けてきました」
原節子は10代半ばで映画界入りして以来、大家族の生活を一手に支える大黒柱でした。親族を経済的に自立させ、自らの果たすべき責任を全うしたとき、彼女にとって女優業を続ける理由は残されていなかったのです。さらに、長年の撮影用強烈ライトによる白内障の悪化など、健康面の不安も重なっていました。スターとしての虚飾を脱ぎ捨て、一人の人間に戻るための引き際だったと言えます。