草太の劇的な死を巡っては、当時「スケジュールの都合による降板ではないか」「制作サイドとの衝突があったのではないか」といった憶測が飛び交いました。しかし、その真相は脚本家・倉本聰と岩城滉一の深い信頼関係に基づく作劇上の決断でした。
岩城滉一は生前、倉本聰に対して「草太という男の生き様を、中途半端な形で終わらせたくない」「男としてピークの瞬間に散らせてほしい」という趣旨の思いをぶつけ合っていました。倉本聰もまた、高度経済成長からバブル崩壊を経て、大規模農業の波に抗いながら生き抜こうとした北海道の開拓者精神を、草太という男に集約させていたのです。
「草太が死ぬことで、遺された純や正吉、そして富良野の若者たちが本当の意味で自立し、大人の男になっていく」。物語を次代へ繋ぐための必然として、倉本聰は断腸の思いで草太の死を執筆しました。降板は決してネガティブな理由ではなく、役者と脚本家が魂を削り合って導き出した究極の幕引きでした。