おニャン子クラブが起こしたブームの背景には、作詞家でありプロデューサーの秋元康による斬新な概念があった。「完璧なスター」ではなく「身近な隣の少女」を前に押し出すプロデュース手法は、従来の歌謡界の秩序を塗り替え、その後の日本のエンターテインメント構造を決定づけた。
しかし、過熱するブームと過密なスケジュールは、十代の少女たちにとってあまりにも巨大なプレッシャーでもあった。白石麻子が選んだ芸能界からの引き際は、時代の狂騒の中にありながらも自身の未来を見つめ直した末の決断だったとされる。絶頂期に潔くマイクを置いた彼女の選択は、今なお潔い伝説として語り継がれている。