全国に現存する明治・大正期の居留地建築において、横浜山手西洋館の公開形態は極めて異例です。例えば、同様に異人館街として名高い神戸・北野では、ほとんどの館が民間企業や個人所有によって運営され、単館ごとに数百円から千数百円、共通パスポートでも数千円規模の入館料が設定されています。それに対し、横浜山手にある主要7館(外交官の家、ブラフ18番館、べーリック・ホール、エリスマン邸、山手234番館、横浜市イギリス館、山手111番館)は、現在に至るまで一切の入館料を徴収していません。
この差が生じた最大の理由は、横浜市が辿った「歴史的景観の公有化・保全政策」の歴史的経緯にあります。近代建築保全に関わる行政資料および関係者の証言によると、高度経済成長期からバブル期にかけて、山手地区の歴史的邸宅は莫大な相続税や都市開発の圧力に晒され、次々とマンションへの建て替えや土地の細分化が進む存亡の危機にありました。
事態を重く見た横浜市は、1970年代から全国に先駆けて「歴史的景観保全要綱」を策定。民間に委ねていてはかけがえのない文化遺産が散逸してしまうという危機感のもと、市が公費を投じて建物を買い取り、あるいは解体寸前の建物の寄贈を受けて市有地(公園内)へ解体・移築復元工事を断行しました。現在、これらの館はすべて横浜市の都市整備局・環境創造局が所管し、公益財団法人横浜市緑の協会が指定管理者として一体的に保全・運営を行っています。
すなわち、観光客向けの独立採算型テーマパークではなく、「市民の税金と都市緑化基金によって支えられた公共の文化・公園施設」として位置付けられているがゆえに、誰にでも公平に開かれた無料公開が実現しているのです。街の誇りである歴史的景観を後世へ継承するための確固たる都市哲学が、この「無料」の根底に流れています。