ブラッディメアリーという強烈な名称のオリジナルとなった実在のモデルは、16世紀のイングランドを統治したテューダー朝の女王メアリー1世(在位:1553〜1558年)です。彼女は実在した歴史上の君主であり、「血塗られたメアリー」という異名は後世に付けられた政治的・宗教的烙印でした。
父ヘンリー8世が王妃キャサリンと離婚してアン・ブーリンと再婚するためにローマ・カトリックを離脱したことで、敬虔なカトリック信徒であったメアリーの運命は暗転します。私生児の身分に落とされ、母と引き離されるという過酷な少女時代を過ごした彼女は、不屈の執念でイングランド史上初の「女王」として戴冠を果たしました。
即位したメアリー1世は、国教を再び厳格なカトリックへと回帰させる強硬策を断行します。これに反発したプロテスタントの高官や聖職者、市井の市民に対し情け容赦のない異端審問を実施。わずか5年間の治世で287人以上のプロテスタント信徒を火刑台に送り、生きたまま焼き殺す暴挙に及びました。ロンドンのスミスフィールドなどで立ち上った煙と犠牲者の絶叫は民衆に深い恐怖を植え付け、彼女は熱狂的な恐怖政治の執行者として国民から「ブラッディ・メアリー」と忌み嫌われることになったのです。
しかし、彼女の残虐性の裏には個人的な深い孤立と悲劇がありました。政略結婚で迎えた11歳年下のスペイン皇太子フェリペ2世(後のフェリペ2世)からは愛されず、世継ぎを産まなければならない強迫観念から凄惨な「想像妊娠(偽妊娠)」を二度も繰り返す事態に陥ります。腹部が膨らみ産褥に入るも胎児は生まれず、やがて全身の衰弱と卵巣ガンまたは子宮筋腫と目される病に侵され、後継者なきまま42歳でその生涯を閉じました。「子どもを殺された母の霊」「血まみれの手を伸ばす女性」という怪談のプロットには、メアリー1世の遂げられなかった母性と宗教的狂乱の血痕が色濃く影を落としています。