広大な武蔵国を統治するための政治・行政の中枢(国府)は、現在の東京都府中市に置かれました。「府中」という地名そのものが「国府の中に位置する場所」を意味しています。
府中の中心部に鎮座する「大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)」の境内および周辺一帯からは、大規模な国衙(こくが=役所)跡の遺構や政庁の柱穴が発掘調査によって確認されており、国の史跡「武蔵国府跡」として指定されています。大國魂神社は、武蔵国内の著名な神社6社(小野神社・小河神社・氷川神社・秩父神社・金佐奈神社・杉山神社)を合祀した「武蔵総社(六所宮)」であり、国司が国内の神社を巡行する代わりにここへ参拝すれば済むよう作られた、極めて格式の高い宗教的拠点でもありました。
一方、聖武天皇の詔によって全国に建立された「武蔵国分寺」は、府中から北へ約2.5キロメートル離れた現在の東京都国分寺市に造営されました。国分寺崖線(ハケ)から湧き出る清らかな水源と広大な平坦地を活かしたこの寺院跡は、全国の国分寺跡の中でも屈指の規模を誇ります。
発掘調査では、七重塔と推定される巨大な塔跡の基壇や金堂跡が確認されており、当時の武蔵国が朝廷にとっていかに重要視されていたかを物語る物証となっています。元弘3年(1333年)の分倍河原の戦いで新田義貞の軍勢によって焼失したものの、現在も「武蔵国分寺跡」として整備され、歴史公園として当時の壮大な伽藍配置を体感することができます。