彼女の言葉の重みを真に理解するには、その壮絶な歩みを知る必要があります。
1910年、現在の北マケドニア・スコピエで生まれた彼女(本名:アグネス・ゴンジャ・ボヤジュ)は、18歳でロレート修道女会に入り、教師としてインドへ派遣されました。ダージリンへ向かう列車の中で「すべてを捨て、スラム街の最も貧しい人々に仕えなさい」という「呼びかけの中の呼びかけ(神の啓示)」を受け、1948年に修道院の壁を出てカルカッタの過酷なスラムへと単身飛び込みました。
1950年に認可された「神の愛の宣教者会」は、ヒンドゥー教の寺院の隣に「死を待つ人々の家(ニルマル・ヒリダイ)」を開設。路上で行き倒れた人々を収容し、「生涯を動物のように生きた人々が、最後は天使のように愛されて旅立てる場所」を提供しました。
1979年のノーベル平和賞受賞式では、通例となっていた豪華な祝宴を「その費用で貧しい人々に食事を提供してほしい」と断固として辞退。賞金19万2,000ドル(当時のレートで約4,500万円)も全額、慈善事業へ寄付しました。授賞式に現れた彼女は、わずか1ドル程度の粗末な木綿のサリーを身にまとい、世界中のVIPに強烈な衝撃を与えました。