悲劇の夜、ダイアナ元妃は交際相手と報じられていたエジプト出身の富豪、ドディ・アルファイド氏(当時42)とともに、パリの最高級ホテル「オテル・リッツ」に滞在していました。二人のバカンスはタブロイド紙の絶好の標的となっており、ホテルの正面エントランスには数十人規模のカメラマンが昼夜を問わず陣取っていたのです。
8月31日の午前0時20分頃、二人はパパラッチの目を眩ますため、リッツの正面に偽のオトリ車両を配置し、自身らはホテルの裏口からメルセデス・ベンツS280に乗り込みました。目的地は、アルファイド氏が所有するシャンゼリゼ通り近くのアパルトマンでした。同乗していたのは、運転手を務めるオテル・リッツの副警備主任アンリ・ポール氏、そしてドディ氏のボディガードであったトレヴァー・リース=ジョーンズ氏の計4名でした。
しかし、オトリ作戦は即座に見破られます。高性能バイクに乗ったパパラッチ集団がメルセデスを猛追撃し、市街地で危険な追走劇が繰り広げられました。午前0時23分頃、車はセーヌ川沿いの幹線道路にあるダイアナ妃 アルマトンネル(Pont de l'Alma tunnel)へ進入。制限速度が時速50キロに設定されていた地下通路へ、メルセデスは時速100キロを超える猛スピードで突入したと記録されています。
下り坂のカーブで先行する小型車(謎の白いフィアット・ウーノと推定)との接触を避けようとハンドルを切った際、車両は完全にコントロールを失いました。車体はトンネル中央の13番目のコンクリート支柱に激突し、壁面を跳ね返って大破。運転手のアンリ・ポール氏とドディ氏は即死状態となり、後部座席のダイアナ元妃は重傷を負い車内に閉じ込められました。これが、世界中を激震させたダイアナ妃 事故の経緯の客観的タイムラインです。