安重根の人物像を語る上で欠かせないのが、旅順刑務所での収監生活において、取り調べにあたった日本人検察官や刑務官たちが彼の高潔な人柄に深く感化されていたという事実です。
取り調べを担当した溝淵孝雄検察官は、安重根の理路整然とした主張と礼節ある態度に接し、「彼は国家の独立を真摯に願う義士である」と私的に敬意を抱いたと伝えられています。また、刑務所の看守を務めていた憲兵・千葉十七(ちば とうしち)との交流は、歴史の過酷な対立を超えた人間的絆として広く知られています。
千葉は当初、日本の要人を殺害した安重根を憎悪の目で見ていました。しかし、獄中でも祈りを欠かさず、看守たちにも敬意を払って接する安重根の誠実さと高い教養に触れるうちに、次第に深い敬意を抱くようになりました。処刑の直前、千葉が記念に一筆を所望した際、安重根は彼のために次の書を揮毫(きごう)しました。
「為国献身軍人本分(国のために身を捧げることこそ、軍人の本分である)」
この書は千葉十七の遺族によって宮城県栗原市の大林寺に大切に保管され、後に韓国へ返還されました。現在でも同寺には安重根と千葉十七の供養碑が並んで建立されており、両国の草の根交流の象徴となっています。
1910年3月26日、母の手縫いによる白い伝統韓服を身にまとった安重根は、従容として絞首台へと向かいました。彼の最期の遺言は次の通りでした。
「私が死んだ後は、私の遺骨をハルビン公園の傍らに埋め、国権が回復した日に祖国へ改葬してほしい。私は天国に行っても、韓国の独立のために力を尽くすだろう」
しかし、処刑後の遺骨は埋葬場所が独立運動の聖地化することを恐れた日本当局によって刑務所敷地内の非公開の場所に埋められました。現在に至るまで正確な埋葬地は特定されておらず、韓国政府による発掘調査の試みも結実していません。