噴火が沈静化した後、故郷へ戻ってきた黒神の村民たちは、変わり果てた集落の姿に愕然としながらも生活の再興に着手しました。当然ながら、地域の信仰の拠点であった原五社神社の鳥居についても、土砂や軽石をスコップで掘り起こし、元の姿に復旧させようとする作業が始まります。
しかし、その復旧作業を制止した人物がいました。当時の東桜島村長であった野添八男氏をはじめとする地域指導者たちです。「鳥居を掘り起こして元通りにするのは簡単だが、この凄まじい自然の猛威と災害の記憶は、形を消してしまえば数世代で風化してしまう。この埋まった鳥居こそ、未来の子孫へ噴火の脅威を伝え、命を守る防災の意識を植え付けるための貴い生きた教材になる」と、村民たちを懸命に説得したのです。
生活の利便性や景観の復旧よりも「防災遺構としての永続的な教訓」を優先させたこの英断により、鳥居は掘削されることなく、被災したそのままの状態で保存されることになりました。その後、昭和33年(1958年)にはその学術的・歴史的価値が正式に認められ、鹿児島県指定文化財(史跡)に指定されています。目先の復旧に流されず、100年以上先を見据えて遺構を守り抜いた先人たちの防災思想は、現代を生きる私たちにとっても極めて重い示唆を与えています。