フィクションとしてのドラマ版と、正史である『朝鮮王朝実録』が伝える記録を照らし合わせると、当時の過酷な宮中事情と病の残酷さが浮き彫りになります。
史実における恭嬪金氏は、1571年頃に第14代国王・宣祖の後宮に入り、長男の臨海君(1572年生)と次男の光海君(1575年生)を立て続けに出産しました。宣祖から深く愛された実力者でしたが、1577年(宣祖10年)陰暦5月27日、わずか数え年の25歳前後(満23〜24歳)で突如帰らぬ人となっています。
歴史記録に残る直接の死因は、次男(光海君)出産後の産後風(産褥期障害)の慢性化および、急激に悪化した背疽(背中の重篤な化膿性リンパ節炎・癰腫)です。抗生物質の存在しない李氏朝鮮時代において、背疽は王侯貴族であっても命を落とす恐ろしい感染症であり、激痛とともに急速に高熱と多臓器不全を招きました。
ネット上の一部コミュニティでは「敵対する側室による毒殺ではなかったのか」という噂が散見されます。宮廷内での強い妬み嫉みや呪詛の嫌疑が日常茶飯事だった環境は事実であるものの、正史において毒殺を裏付ける証拠は存在しません。産後の衰弱した肉体に過激な宮中ストレスが重なり、免疫力が限界を迎えたことによる合併症急死というのが、医学的・史学的な実像です。