1912年創業の日本最古の映画会社である日活が、成人映画専門の制作会社へと転換したのは1971年11月のことだった。石原裕次郎、小林旭、吉永小百合らを擁し、青春映画や無国籍アクションで一世を風靡した名門が、なぜ社会的タブーとされた領域へ身を投じたのか。その背景には、避けることのできない日活経営危機と路線転換の経緯が存在した。
1960年代後半から加速した家庭用テレビの普及とレジャーの多様化により、日本の映画人口は激減した。日活も例外ではなく、1971年には累積赤字が数十億円規模に達し、調布の撮影所を売却、大森の土地や直営館までも手放す事態に追い込まれた。当時の役員会や労働組合の記録によると、「撮影所を完全に閉鎖して不動産業に転換するか、あるいは限られた予算で確実に回収できる成人映画に特化するか」という究極の二者択一が迫られていたという。
背水の陣で打ち出されたのが、日活ポルノ誕生の真相ともいえる「ロマンポルノ」路線だった。制作費は1本あたり約700万〜800万円、撮影日数は実質わずか7〜10日間。さらに「上映時間は約70分」「10分に1回の性描写を入れる」という最低限の商業的コードを満たせば、企画や演出の手法は監督に一任された。この極限状態の自由度が、皮肉にも閉塞していた日本映画界のクリエイターたちを強烈に刺激し、日活ロマンポルノ歴史の劇的な幕開けとなった。