妻を亡くした当時、3人の子どもたちはまだ学生や幼少期だった。料理人としての過酷なスケジュールをこなしながら、家事と育児を両立させる生活が始まった。朝早く起きてお弁当を作り、店で仕込みをし、夜遅くに帰宅して洗濯をする。そんな怒涛の日々を、彼は「とにかく必死だった」と振り返る。
世間の父親が直面する以上の苦労を重ねながらも、子どもたちは無事に成長。長女、次女、そして長男がそれぞれ自立の道を歩み始めるにつれ、笠原氏自身の肩の荷も少しずつ軽くなっていった。この子育てのひと段落が、周囲から「そろそろ自身の幸せを考えても良いのでは」という声が上がるきっかけとなったのだ。