宮澤喜一の政治キャリアにおいて、最大の悲劇であり転換点となったのが、1993年の「55年体制の崩壊」です。
当時、相次ぐ金権スキャンダルに怒りを募らせた世論に対し、宮澤はテレビ番組などで「私は必ず政治改革(小選挙区制導入など)を成し遂げる。嘘はつかない」と明言していました。しかし、自民党内の長老勢力や既得権を守ろうとする抵抗勢力をまとめきれず、通常国会での政治改革関連法案の成立を断念せざるを得ない状況に追い込まれました。
この頓挫を機に、小沢一郎や羽田孜ら党内改革派が公然と反旗を翻します。1993年6月18日、野党から提出された内閣不信任決議案に対し、自民党内から39名の造反議員が賛成票を投じるという前代未聞の事態が発生。賛成255票、反対220票で不信任案は可決されました。
議場が騒然とする中、宮澤は解散総選挙(嘘つき解散)を選択。直後に小沢らは離党して新生党を結成し、新党ブームが巻き起こった第40回衆議院議員総選挙で自民党は過半数を大きく割り込みました。その結果、日本新党の細川護熙を首班とする非自民・非共産連立政権が誕生。1955年の結党以来、38年間にわたって日本を動かし続けてきた自民党の一党優位支配に終止符が打たれました。