ファンが最も疑問に感じてきた「なぜ近年の映画作品で再び変身してくれないのか」という点。これこそが、ネット上で「黒歴史説」を補強する口実として長年利用されてきた最大のポイントでした。しかし、現場関係者の証言や当時のスタッフとの対談記録を精査すると、そこには作品に対する崇高なリスペクトが存在することが分かります。
一条薫警部補を演じた葛山信吾との共闘を含め、『クウガ』の物語は第49話「雄介」のラストシーンで完璧な着地を迎えました。激しい憎悪と悲しみの果てに宿敵ン・ダグバ・ゼバを殴り倒し、血を流しながら雪山で慟哭した五代雄介。彼は戦いを終えた後、誰にも告げずに海外へと旅立ち、海辺で子供たちに笑顔を見せるシーンで物語は幕を閉じます。
もし、後発のお祭り映画やクロスオーバー企画において、五代雄介が気軽にベルトを巻き、威勢よく変身して怪人を倒して去っていくような描写がなされたらどうなるでしょうか。彼が命と魂を削り、「これ以上誰も泣かせないため」に苦しみ抜いて戦った49日間の重みが、一瞬で消費されてしまいます。
オダギリジョーが客演を断り続けてきた理由は、「特撮を見下しているから」ではなく真逆です。「高寺プロデューサーをはじめとするあの当時のチームが作り上げた五代雄介の旅路を、自分のエゴや商業的都合で汚したくない」という徹底した作家主義への忠誠心に他なりません。実際にオダギリは、高寺氏が携わらない形での安易な再登板を拒否する姿勢を一貫して崩していません。それは役を大切にするからこそ下された、表現者としての最も重い決断だったのです。