官兵衛の名言として最も知られるのは、「人は石垣、人は城」という言葉だろう。ただし、これは後世の創作による部分が大きく、官兵衛自身の言葉として確実な史料は限られている。それでも、この言葉が官兵衛の思想を象徴するものとして広く受け入れられている背景には、彼の現実主義的な人間観がある。「城の堅固さより、人の心を掴むことが最も重要だ」という発想は、姫路城という堅城に生まれながら、城を軍事拠点としてのみ捉えなかった官兵衛らしい逆説だ。
晩年の官兵衛は、関ヶ原後の論功行賞で筑前国52万石を与えられ、福岡藩の祖となった。しかし、その身体は若い頃の幽閉生活で蝕まれており、1604年3月20日(慶長9年2月12日)、京都で死去した。享年59。死因は現代の医学的知見から推測すると、有岡城での幽閉中に負った脚気や栄養障害、さらには肝臓や腎臓の慢性的な機能不全が進行した可能性が高いと専門家は指摘する。決して劇的な死ではないが、牢獄での1年間が彼の人生を最後まで支配し続けたと考えると、その晩年の静けさには深い余韻がある。