紫陽花の花言葉がこれほどまでに複雑化した根底には、日本から西洋へ渡り、再び日本へ戻ってきたというダイナミックな植物交流史が存在します。
江戸時代末期、オランダ商館の医師として来日したドイツ人博物学者フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは、日本の紫陽花に激しく魅了されました。彼は愛した日本人女性「お滝さん」の名にちなみ、紫陽花に『ハイドランジア・オタクサ(Hydrangea otaksa)』という学名を命名し、ヨーロッパへ持ち帰ったエピソードは有名です。
雨が多く日陰で咲く日本の紫陽花は「湿り気と憂い」を象徴していましたが、からりと晴れた地中海性気候のヨーロッパに持ち込まれた紫陽花は、鮮やかな大輪の花を咲かせる陽気なシンボルへと変貌しました。土壌も弱アルカリ性が多いため、咲く花は鮮烈なピンクや赤が中心となります。その結果、ヨーロッパでは「寛容」「強い愛情」「元気な女性」という明るい花言葉が定着したのです。
明治・大正期にこの「西洋アジサイ」が日本へ逆輸入された際、日本古来の「移り気・冷淡」というイメージと、西洋の「家族愛・寛容」というイメージが混在することになりました。現代のWeb空間で「怖い」と「感動的」が二極化しているのは、この150年にわたる東西文化のせめぎ合いが原因です。