ムカデを殺してはいけないと言われる理由は、単なる迷信にとどまらず、歴史的・宗教的な伝承から昆虫学的な利点、さらには衛生管理上の危険回避まで多岐にわたります。主な要因を紐解くと、大きく以下の3つの側面に分類されます。
第一に、毘沙門天の使いとしての縁起やスピリチュアルな意味です。仏教における四天王の一尊であり、勝負事や財運を司る毘沙門天(びしゃもんてん)の神使がムカデとされています。ムカデは「百足」と書くように足が非常に多く、「お足(お金)がたくさんつく」「客足を伸ばす」として、商人や花柳界では商売繁盛の象徴として大切にされてきました。また、後ろに下がらずひたすら前に前進する習性から、戦国時代には武田信玄をはじめとする武将たちが「決して退却しない不退転の象徴」として旗印や甲冑の前立てに採用した歴史があります。そのため、ムカデを殺すと「運気や金運を逃す」「神仏の怒りを買う」と畏怖されてきた背景があります。
第二に、家屋の害虫を駆逐する強力な益虫としての側面です。ムカデは極めて獰猛な肉食性であり、人間にとって衛生害虫の代表格であるゴキブリをはじめ、ハエ、クモ、蛾の幼虫などを旺盛に捕食します。ゴキブリの成虫を逃さず仕留める圧倒的なハンティング能力を持つため、昔の木造家屋においては「家の害虫を一掃してくれる守り神」として歓迎される側面がありました。
第三に、叩き潰すことによる物理的・衛生的な実害リスクです。後述するように、ムカデを不用意に力任せに潰すと、強烈な体液の飛散や死に際の反射攻撃を招き、人間側に直接的な危害が及ぶリスクが跳ね上がります。つまり、「殺してはいけない」という言葉の裏には、「不用意に潰して殺そうとするな」という先人の実践的な生活の知恵が含まれているのです。