1884年(明治17年)7月7日、明治政府は「華族令」を公布・施行しました。これは単なる身分制度の再編ではなく、将来の国会開設(帝国議会)を見据えた周到な国家戦略でした。
従来の華族制度を改め、古代中国や欧州の制度を参考に「公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵」という五爵制を導入。旧公家や旧大名といった門閥層だけでなく、明治維新で軍功を挙げた薩長土肥の功臣たち(伊藤博文、山県有朋、井上馨、西郷従道ら)を新たに華族へ列挙しました。
この改革の真の狙いは、1890年に予定されていた帝国議会の開設に際し、衆議院に対抗できる特権的な「貴族院」の基盤を作ることにありました。天皇を取り巻く防壁(藩屏)を制度化し、藩閥政府の権力基盤を揺るぎないものにするための布石が、この明治17年に打たれたのです。