この事案の土台となったのは、昭和初期の山間部に位置する孤立した寒村(通称・K村)での出来事です。当時施行されていた伝染病予防法(現・感染症法)では、法定伝染病の患者が発生した場合、速やかに隔離病舎や指定医療施設へ搬送・収容する義務が関係者に課されていました。
しかし、当時のK村は荷車(リアカー)すら保有していない極貧の集落であり、最寄りの隔離施設までは険しい山道が何十キロも続いていました。患者を背負って雪深い山道を越えることは、搬送者自身の生命をも危険に晒す極限状態を意味していたのです。結果として搬送義務を期限内に果たせなかった被告人に対し、検察側は法令違反として起訴に踏み切りました。
法廷で被告人側が訴えたのは、「物理的な運搬手段が存在せず、生命の危険を冒してまで義務を履行することは不可能だった」という切実な叫びでした。これが後にリアカーなきK村刑法論争として結実し、国家が定める法規範と個人の限界をめぐる歴史的な議論へと発展していきました。