対決相手である「佐々木小次郎」という人物の素性についても、多くの謎が存在します。そもそも当時の記録では、彼の名は「佐々木小次郎」ではなく、兵法の流派名あるいは号である「巌流(岩流)」として記載されることが大半でした。
広く知られる創作物では、武蔵と同年代の美男子として描かれますが、実際の武蔵と小次郎の年齢差は通説と全く異なります。小次郎が創始したとされる「巌流」は、中条流の達人・富田勢源の門下(あるいは弟子である鐘捲自斎の弟子)とされています。富田勢源が活躍した年代から逆算すると、慶長17年(1612年)の決闘当時、29歳前後だった武蔵に対し、小次郎は優に50代から60代に達していたとする説が有力視されています。
さらに、彼が愛用したとされる長刀「物干し竿(備前長船長光)」は、刃長が3尺(約90cm)を超える異例の長剣でした。当時の標準的な打刀(約2尺3寸/約70cm)を遥かに凌ぐ長刀を自在に操り、空中を飛ぶツバメを切り落とすかのような鋭利な太刀筋「燕返し」を編み出した老練な達人――これが史実の輪郭から浮かび上がる巌流の正体です。