世田谷での暮らしは、外見上の優雅さとは裏腹に、極めて過酷な精神的格闘の舞台でもありました。その生活を陰で支え続けたのが、妻・愛子(旧姓・原田)です。
蘆花は純粋無垢な理想を追求するあまり、時に自己中心的とも言える激情を露わにしました。自らの過去の不貞や精神的動揺を愛子に対して残酷なまでに告白し、夫婦間の葛藤を公の著作にまで書き連ねたのです。愛子はその狂気すれすれの情動を受け止め、農作業に従事しながら夫の創作と生活を支え抜きました。愛子の献身がなければ、世田谷での生活も後年の著作群も成立し得なかったと言えます。
蘆花の没後、愛子夫人は1936年(昭和11年)に旧邸と土地を東京市(現・東京都)に寄贈しました。現在、都立公園「蘆花恒春園」として整備されている敷地には、当時の茅葺き屋根の母屋や秋水書院、夫妻が眠る墓所がそのまま保存されています。武蔵野の面影を残す竹林やクヌギの木立を歩くと、近代の消費社会を嫌悪し、生命の根源を掘り起こそうとした夫婦の生々しい呼吸が静かに伝わってきます。