飛鳥から奈良へと至る激動の時代、天武天皇主導の中央集権化を経て制定された大宝律令は、日本を東アジアの大国に並ぶ法治国家へと仕立て上げるための設計図だった。中央の太政官を頂点とする官僚機構は、日本列島の津々浦々にまで行政の網を張り巡らせようと試みた。
律令制の根幹をなしたのは、すべての土地と人民は天皇に帰属するという「公地公民」の建前だ。朝廷は全国規模で戸籍を整備し、民衆一人ひとりを正確に把握することで、税収と兵力を一元管理しようと目論んだ。だが、中央の貴族たちが描いたこの壮大なシステムは、当時の列島の農業生産力や交通網の実態を無視した、あまりに非現実的な官僚主義の産物でもあった。