林葉直子の波乱の原点を振り返る上で欠かせないのが、将棋界における破格の足跡です。福岡県に生まれた彼女は、幼少期から天才的な直感力と勝負勘を発揮し、故・米長邦雄永世棋聖の門を叩きました。内弟子として厳しい将棋の修行に身を投じ、わずか11歳で奨励会に入会。1980年、12歳で女流プロ入りを果たすと、瞬く間に女流棋界の頂点へと駆け上がりました。
彼女が打ち立てた金字塔は枚挙にいとまがありません。女流王将戦では前人未到の10連覇(通算10期獲得によりクイーン王将の称号を獲得)を達成し、女流名人も4期獲得。通算タイトル獲得数は15期に達します。当時の将棋界において、可憐なルックスと圧倒的な終盤の切れ味を併せ持った彼女は唯一無二のアイドル的存在であり、NHKの将棋講座のアシスタントやテレビ番組のゲスト、さらには小説家としてもミリオンセラーを放つなど、将棋界の枠を完全に飛び越えたスーパースターでした。
しかし、その栄光の裏で精神の摩耗は限界に達していました。1995年、日本中を騒然とさせる「林葉直子失踪事件」が勃発します。対局を無断で欠席し、突如として消息を絶った彼女は、イギリス・ロンドンに滞在していました。ワイドショーが連日大騒ぎする中、日本将棋連盟との対立が表面化。過密なスケジュール、プライベートの束縛、そして将棋連盟という伝統的で男性中心の巨大な組織体制に対する違和感が、彼女を一気に逃避行へと駆り立てたのです。
騒動の末に帰国した彼女は休位を経て、最終的に日本将棋連盟退会の経緯へと至ります。連盟に退会届を提出し、正式にプロ棋士としての看板を下ろした瞬間、将棋界の至宝と呼ばれた天才少女のオフィシャルなキャリアは、唐突な幕引きを迎えることとなりました。