大日本帝国陸軍第32軍の首脳陣は、極めて特異な人間的バランスの上に成立していた。徳望が高く温厚な軍司令官・牛島満中将、剛直で攻撃精神に富む参謀長・長勇中将、そして冷徹な頭脳で防衛線を設計する高級参謀の八原。この三者の力関係が、沖縄戦の推移を決定づけた。
大本営からの督促と長参謀長の主戦論に押され、八原が頑なに反対した1945年5月初旬の「総反撃」が決行されたとき、悲劇は決定的なものとなった。八原の予見通り、洞窟を出て突撃した精鋭部隊は米軍の火網に捕捉され、わずか数日で数千名の兵力を失って壊滅したのである。
攻勢の失敗を目の当たりにした牛島中将は、以後の作戦指揮を完全に八原に委ねた。軍の命運が尽き果てる最後の瞬間まで、八原は撤退戦を指揮し、摩文仁の断崖へと戦線を後退させながら持久を継続した。組織の暴走を止められなかった悔恨と、それでもなお任務を完遂しようとする執念が、司令部洞窟の暗闇のなかで交錯していた。